01/31/2021

【自己紹介】私には表現したいことがある。だから今、生きている。

KUMIKO SUZUKI

こんにちは。アーティストの鈴木久美子です。

コンテンポラリーアートの作品を作っています。


現在は、主にアクリル絵の具を使い、インクやパステル、ペンやスプレーなど様々な画材を混ぜていくのが楽しくて

miked mediaによる抽象表現の平面作品を作っています。

面白そうな画材に出会うとめちゃめちゃわくわくしちゃう。

さて、

今日からブログを綴っていこうと思います。

まずは自己紹介から。

東京都在住。東京都出身。

武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科を卒業。

卒業後は20年程、グラフィックデザインの仕事をしていました。

そして、2018年の1月のこと。

それは突然やってきたのです。

「絵を描きたい!」「猛烈に絵を描きたい!」

という衝動が。


美大を卒業し、デザインの仕事をしていた頃には自分のアート作品を作りたいと思ったことは一度もなかったのに。

アーティスティックなデザインをしたい、というのならまだしも

ましてや、絵を描きたいだなんて!

この20数年、考えたこともなかったのに!


それなのに突然、

絵を描きたい衝動に駆られたわけなんです。


kumiko suzuki

私ね、実を言うと

笑われると思っていたんです。



自分はたいして絵が上手いわけでもないし、

いや、むしろ下手な方だし。劣等感があった。


それに、デザインとアートは全然別物なんだから、デザインとアートを混同してるデザイナーは痛いよねって。

今となっては謎すぎるルールで自分を縛って、

ずーーーっと、自由に絵を描くこと、

作品を作ることを自分に禁じていたんです。



とにかく以前の私は人目ばかり気にしていたので
まあ、怖かったんですよね。


比べられたり、批判されたりするんじゃないかと自分で作り上げた幻影に恐怖していた。


そうやって無意識に自分の気持ちを封印していたんです。

でもね。そもそも絵を描くのが好きだったから、モノを作るのが好きだったから、美大に入ったんですよね。

そんな純粋な根っこの部分の気持ちを

ある日突然、思い出しちゃったんですよ。


というか、

絵を描きたい衝動に、

もう、やられましてね。


いや、もう何も考えずに描き始めてたワケなんです。



それが2018年の1月からです。

芸術は爆発です。


それはあまりに唐突に。


きっかけはアルコールインクとの出会いでした。

初期の作品はほとんどがアルコールインクを使って描かれたものです。

アルコールインクは、ユポという水の染みない合成紙の上で予想外の動きをしたりするので

面白くてハマったんですよね。

見た事のない色の混ざり方。見た事ないインクの動き方。

それらが本当に美しくて、全然思った通りの効果を狙えなくて、もどかしくて、

ハマってしまった。

これが全然自分の思うようにはコントロールできないところが魅力でね。

インクが勝手に動いて形を作っていく様子が

毎回毎回、新鮮で。

なんだか子どもみたいに

「うわあ~綺麗!」って
思わず声に出してしまうような驚きがあって。

コントロールできないからこそ出会える新たな美しさの発見が、綺麗な色や形に、いちいち感動していた子どもの頃の感覚を思い出させたんですよね。

花をすりつぶしてできる色水の美しさや、トンボの羽の不思議さ。

夕焼け空のブルーとピンクとオレンジの境界線の色の移り変わりに、心奪われていたあの頃のような。

それからというもの、毎日夢中で絵を描いています。

夢の中ですら描いています。

朝、絵が描きたくて目が覚めるというぐらい

私の生活は一変してしまいました。

デザイナーを辞め、今は絵を描く日々を送っています。

「人生って何だろう?」

「何で私、生きてるの?」

ようやく、その答えを見つけた気がしています。

生きるとは表現すること。表現することは生きる力となる。

人生そこそこ長く生きてきたので

もう人間の力ではどうにも出来ないような

深い悲しみも経験しました。



最愛のまだ幼い息子を病気で亡くしたんです。


本当に人生って理不尽だな、と思いました。


息子を病気で亡くした後、自分が生きているのか死んでいるのか

自分でも、もうわからない状態で10年近くを過ごしました。
まるで沼の底にいるような気分でした。

私はなんでまだ生きているんだろう?

そう思ってました。

でも、ようやく

その問いに答えが見つかったんです。

私には表現したいことがある。

だから今、生きている、と。

息子がなくなった後、自分の体が半分なくなってしまったような気がして、

私にはもう、何もない。

これ以上の絶望はない。

そう思っていたけど、

半分なくなってしまった、ということは

半分は、

『ある』じゃないか、と。

息子は今や、光となって自分の中に『ある』と

やっと腑に落ちたんです。

息子の存在が消えて無くなることは永遠にないのだと。

私の中で、光となってそっとそこにいるのだと。

そして、私の中でそれは、初めは小さな小さな光だったけど

今は輝くばかりの大きな力強い光となって

私の中から溢れ出してきたんです。

私はその光を表現したい。

溢れ出てきた光は

命そのものであり、

私の分身であり、

私の子ども。

そして、私はいくらでも生み出すことができる。

命の光はなくなったりしない。永遠に。

私の中で消えてなくなったりしない。

私の肉体がこの世からなくなってもきっと

引き継がれていく。

私は命をいっぱいに輝かせて生きていきたい。

『生きることは表現すること。

表現することは生きる力となる。』

それが私の実感のこもった答え。

表現することで、今私は自分の生きるエネルギーを取り戻したように感じています。

そして、絶望を味わったからこそ

今は、

人生は喜びのためにある、と思えるようになりました。

命いっぱいに表現する。

楽しむ。味わう。

自分の感覚に集中する。

純粋に、自由に、好奇心のおもむくまま

感覚に集中して紙の上に出していく。

そうしていると、私が子どもの頃に感じていた感覚がどんどん蘇ってくるんです。

お腹の底から命が沸きあがるような何か。

それは、とても純粋な

根源的な喜びなのかもしれません。

言葉にならない何か。

目には見えないけど

確かにそこにある命の光を

絵で伝えたい。


それを見ると

ホッとするもの、

心地よさを感じさせるものを描きたい。

それを見ると

イマジネーションが掻き立てられるようなものを。

一枚の平面の中の世界が、まるで宇宙かのような質量を持っていて

その中に存在しているかのようなものを。

まるで一本の映画のようなストーリーが流れて
ワクワク胸が躍るようなものを。

まるで、

こんこんと湧きいづる泉のような

尽きることのない豊かさを感じるものを。

私が好きなもの、私が見つけた美しいものの中にある

根源的な命の光を描いていきたい。

喜びを表現し、

喜びのさなかにいたいのです。

命の躍動。

私にとって描くとはそういったこと。

そうやって、好きなものにまみれて暮らせば良いと思っています。


kumiko suzuki

そして、喜び100%で出来上がった作品を通じて、生きるエネルギーのようなものが見る人にも伝わり

時には人を癒やしたり勇気づけたり、インスピレーションを与えたり、

そんな喜びの感覚が伝わって広がっていったら

こんなに嬉しいことはありません。